「日本のサービスって、なんでこんなに丁寧なんだろう?」
海外に長く住んでいると、そんなふうに感じる瞬間が何度もあります。
私はロンドンを拠点に20年近く暮らしてきました。
帰国するたびに、日本の清潔さ、接客の細やかさ、そして人の優しさに毎回驚かされます。
今回の記事では、私が日本に一時帰国したときに訪れたラーメン屋での出来事から、
改めて「日本の接客が世界一と言われる理由」について考えてみたいと思います。
ラーメン屋で感じた“日本の接客の本質”

和歌山県・熊野大社の近くにある小さなラーメン屋、麵屋みつあし。
その日は娘の職業体験で訪れたのですが、外国人のお客さんが8〜9割を占めていました。
熊野に滞在中の外国人でにぎわう中、フランス人の家族連れの子どもが、
テーブルの水をうっかりこぼしてしまったんです。
その瞬間、スタッフの方が音を聞いてすぐに駆け寄り、
机を拭き、新しいお水をさりげなく置いてくれました。
そして一言も叱ることなく、笑顔のままに「大丈夫ですよ〜☺️」と声をかける。
子ども達はチラッとスタッフを見て瞬時に「私じゃないよ、兄がやったんだよ」
っていうジェスチャーをしてたけど、誰がやったかが問題ではなく、
今起きてる問題をサッと解決して終了‼
その一連の流れを見て、私は思わず心の中で拍手しました。
「これよ、これだよ、日本のホスピタリティ!」って。
なぜ日本だけがここまで「察する文化」になったのか?
この “察する” とか “すぐに動く” という行動は、マニュアルではなく文化なんですよね。
そもそも、 “察する” という行動はマニュアルに書かれてあるからと言ってできるコトではないですけどねwww
日本語って主語や目的語を抜いても意味が通じる言語です。
でもAIに聞いてみると、主語や目的語を省略できる言語は複数あり、世界的に珍しいわけではないのだそう。
たとえばスペイン語・イタリア語・中国語も主語を省略できる。
でも——日本だけは「文法上の省略」じゃなくて、「人間関係の空気を読む前提」で成立してる。
これが**“察する文化”を育てた最大の違い**なの。
つまり👇
他の言語は「文の中で文法的に省略できる」
日本語は「人の気持ちを前提に省略する」
この違いが大きい。
たとえば、
- 英語だと “What do you want to eat?” って聞かないと伝わらない。
- 日本語だと “どうする?” で成立する(笑)。
この「察してわかるでしょ?」の文化が、
社会全体のコミュニケーション様式やサービス業にも浸透してるのよね。

ロンドンの「共生的な接客」は“サービス”とは別軸
イギリスで暮らしてると、本当にサービスは「均一じゃない」。
特にロンドンは多民族都市だから、接客文化もごちゃ混ぜ。
- 中華系の店は基本「スピード&回転重視」
- インド系やトルコ系は「家族経営の温かみ」
- イギリス系は「フレンドリーだけど責任は持たない(笑)」
だから、
「国としてのサービス文化」というよりは、
**“共生社会の中の多様な対応スタイル”**が存在してる感じ。
つまり、ロンドンの“接客”は統一文化じゃなく共存文化。
でもね、それでも日本と比較した時に感じるのは、
“誰もが同じレベルのサービスを提供する社会的土壌”がない、ってこと。
日本って、ファミレスでもコンビニでも、
「相手に不快感を与えないこと」を自然に意識してる。
これがもう文化の骨格になってるんだよね。

なぜ日本は“ファミレスでも神対応”なのか?
背景にあるのは 「恥の文化」+「同調圧力」+「職人気質」 の掛け算。
- ミスをしたくない
- 周りから“ちゃんとしてる人”と思われたい
- 仕事には誇りを持ちたい
この3つがセットで動いてる。
だから、マニュアルじゃなくても「察して動く」「先に対応する」が自然に出てくる。
しかも、日本の社会は“ミスを防ぐ仕組み”を徹底してる。
たとえばファミレスのオペレーション、電車のアナウンス、ホテルの声がけ…
全部「トラブルを予防する設計」になってる。
だから、
“気配り”=おもてなし
“予測行動”=察する力
この2つが、文化的に「正しさ」として根付いてるんだと思う。
当たり前を疑うと、見えてくる“自分の文化”
ラーメン屋で感じた「気配り」って、
実は“自分たちの文化を無意識に使っている瞬間”なんですよね。
海外に出て気づくのは、
“当たり前にできていること”こそが、一番価値のあることだということ。
人の優しさも、言葉のやわらかさも、
サービスの丁寧さも、すべて「関係を大切にする社会」が生んだもの。
それを誇りに思えるようになったのは、
きっと私が“外側”を知ったからなんだと思います。



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