未分類

ぶっちゃけ海外暮らしってどうなん? - 初海外・緩く生きるママを知る

イギリスに移り住んで13年目を迎え、ようやく長く住み続けたいと思える物件と出会いリフォームをしている我が家。引っ越し前からちょくちょく工事中の新居に通うようになって私の脳裏を駆けめぐるのが今まで暮らしてきた家たち。イギリスに来てからは4件目。アメリカでは在米2年半で4回引っ越しました。それぞれの家で色々あったな〜とちょっと感慨深かったりもする。当時は必死で立ち向かってたけど、今振り返ると、あの時の経験があるから今の図太さがあるわけで、全てに対して感謝しかありません。
という事で、「誰が知りたいねん?」って突っ込みが入りそうな、しのゆか的海外生活を綴っていきたいと思います。まずは本格的海外移住までを‼︎

初海外で運命を大きく変える自由過ぎるママに出会う

私が海外に移住すると心に決めたのは小学生の時。窮屈だと感じていた現実世界から飛び出したいと思って夢見たのが始まりでした。その後、高校生で長期留学を志すも両親の反対にあい断念。その代わりにと1ヶ月の交換留学に行かせてもらいました。私にとって初海外となったオーストラリアでの経験は特別楽しかった記憶はないのですが、ホストママのゆるゆる主婦加減に衝撃は受け感激した覚えがあります。
私がホームステイさせていただいたのは名前すらも忘れてしまったメルボルンから車で1〜2時間くらいかかる郊外の小さな町。お父さんが会社員でお母さんが専業主婦、子供2人の4人家族のご家庭(確か長女さんはすでに結婚されていて遠くに住まれてました)でした。専業主婦のママは子供たちが学校に行ってる間にピクニックバッグにマグカップを入れてお友達との時間を満喫してるかと思えば、出かけない日は友達と長電話。そして、極め付けに「お友達の家族に不幸ごとがあって話を聞いてて悲しくなっちゃって、ご飯作る気がしないわ。」と言い、仕事から帰ってきたパパが家族全員分のマクドナルドを買いに行くといったことまでありました。
日本の私の母はパート主婦だったのですが、朝一番に起きて洗濯、掃除、3食の管理までパートをしながら休む暇なく動き回ってる人でした。そんな母に育ててもらった私は「母親=忙しく家族のために動きまくる人」という先入観を持っていたため、ホストママの自由っぷりにただただ驚くばかり。「こんな風に思いのままに生きてもエエんや。そして家族からも受け入れられるんやな」と衝撃を受けたとともに日本のお母さんって働きすぎだし頑張りすぎだなと思った記憶があります。
特別楽しかった記憶もない私なのに、初海外でゆるく生きるオージーママの存在に何かを感じ取ったのか海外移住熱は冷めることなく燃え続けることとなり高校卒業後の進路選択にも大きく影響することとなりました。

海外移住という目標に向けて動き出す

高校生といえば、人生の岐路となる選択を迫られる時期。そこで私が真剣に進路を考えるにあたり、これだけは外せないという進路選択絶対条件を決めました。それがこの3つ。

当時17歳だった私が現状と夢を結ぶために考え出した譲れない3条件


この3つの中で私が1番大切だと考えていたのが3番目の「食いっぱぐれない」ということ。海外移住という当時の私にとっては未知な夢を目標に掲げてしまっていた私にとって保険となるような項目でした。移住先で馴染めなかったら…やっていけなかったら…そんな不安もチラホラしていた私が「失敗したら日本に帰って働けばいいや」と思える状況を作っておきたかった。そのために、就職するのに困らない手に職をつけなければと考えてました。今振り返ると、当時の私17歳にして恐ろしく現実的。自分の現在地を成績という指標の中で把握し、夢を叶えるために必要なお金を貯められる職業を真剣に選んでました。冷静な状況分析力は当時の方が上かもしれないです。
これらに当てはまる職業として私の頭の中に出てきたのが看護師。看護師になり就職先を決めるのもお給料優先。「3年働いたのちに、3年で○○円貯めたから、このお金で留学する」と両親に報告しました。両親は「そこまでして留学したかったんだね」と驚いてはいたものの、最終的には金銭的な援助も含めて私の人生を応援してくれました。時間はかかったけど、本気度を試されたということだったのかもしれません。

日本で生まれ育って頑張るが基本設定だった私が初海外でユルく生きる人を知る。この時から20年の月日を経てゆるく生きる自分もそして周りの人のことも許せるようになりました。その秘訣をコチラのイベントで大公開します。私の経験だけでなくお仲間の人生のターニングポイントも聞けちゃいます。無料イベントですので、是非是非遊びに来てください。

-未分類

© 2022 輝くこじらせ女 ここにアリ!! Powered by AFFINGER5