「なんでこんなに生きづらいんだろう」
誰に言われたわけでもないのに、いつも心の中に「もっと頑張らなきゃ」「今のままじゃダメだ」という声が鳴り響いている。
仕事は順調で、周りからは「自立した女性」に見られているかもしれない。
でも、一歩家に入れば、言いようのない孤独感と空虚さに飲み込まれそうになる……。
もしあなたが今、そんな感覚を抱えているとしたら。
かつての私も、全く同じ場所にいました。
小学校4年生から始まった、自分不在の感覚
振り返れば、小学校4年生の時にはすでに、生きづらさを感じていたように思います。
なんとなくいつも心がソワソワして、自分でありながら自分ではないような……そんな感覚がずっと私につきまとっていました。
その息苦しさが爆発したのが、人生最難関の「暗黒期」だった中学生活です。
家では、成績の数字を見た両親から顔を合わせるたびに否定される毎日。
「ほんま、あんたアホやな」
学校でも、嫌われないように振る舞えば振る舞うほど空回りして、ヤンキーの彼女に目をつけられ、ボールを投げつけられる。
家にも学校にも居場所がない。まさに「どん底」でした。

運命を変えた、帰国子女のお姉さんとの出会い
そんな漆黒の闇の中で出会ったのが、父の先輩の家にいた、帰国子女の大学生のお姉さんでした。
可愛くて、英語がペラペラで、私に優しく声をかけてくれた彼女。
「私と彼女、何が違うんだろう?」
ボロボロだった私が出した答えは、「アメリカ生活の有無」でした。
「アメリカに行けば、私も彼女のように輝けるはず」
その切実すぎる思い込みだけをエンジンにして、私は生き残るための「武装」を始めました。
「バカ」と言われた私が、看護師になった理由
親から「バカ」と言われ続けた私でもなれそうで、留学費用を貯められるくらいの給料がもらえて、留学が失敗に終わったときでも食いっぱぐれない職業として出てきた唯一の選択肢が看護師だったからです。
けれど、現実は過酷でした。
心が健全に成長することができず子どものまま(アダルトチルドレン)なのに、現実世界では人の命を預かる重責。
仕事ができず、職場でも嫌われ、トイレに駆け込んでは何度も泣きました。
当時の主任からは「あの子はいらない」と言われ、医師からは「人と仲良くしてください」と呆れられる始末。
それでも、私は心を殺して働き続けました。
すべては、アメリカという「光」へ辿り着くためだけに。
アメリカ正看護師合格。そして訪れた「絶望」
念願叶って渡米した私を待っていたのは、残酷な現実でした。
景色が変わっても、中身はボロボロの私のまま。
「アメリカに来ても、何も変わらないんだ……」
焦った私は、もう一つの仮説を立てました。「誰からも褒められたことがないから、圧倒的な実績を出して褒められれば、幸せになれるかも」
英語もままならない状態から、死ぬ気で猛勉強し、ついに難関の「アメリカ正看護師(RN)」に合格。
ずっと欲しかった親や兄からの「すごいね」という言葉を、ようやく手にしました。

――けれど、私の心は一滴も揺れ動きませんでした。
喉から手が出るほど欲しかった称賛。なのに、脳内にいたのは
「テストに受かっただけでしょ?誰でもできるよね」
と冷たく吐き捨てる、もう一人の自分でした。
どれだけ外側の条件を整えても、どれだけ「すごい」と言われる実績を積んでも、自分自身が自分を認めていない限り、一歩も地獄から抜け出せない。
そのことに、ようやく気づいた瞬間でした。
おわりに:資格でも称賛でも埋まらなかった「穴」の正体
私の人生を救ってくれたのは、アメリカの資格でも、誰かからの称賛でもありませんでした。
むしろ、喉から手が出るほど欲しかった「誰かからの称賛」を手に入れたことで、私は絶望したのです。「これだけやっても、私は幸せになれないんだ」と。
そこで私は、もう一つの賭けに出ました。 「自分自身の温かい家族を作れば、この空虚さは埋まるはず」
しかし、それはさらなる過酷な「人生再構築」の始まりに過ぎませんでした。 自分で選んだはずの結婚、そして出産。愛おしいはずの我が子の前で、私の中の「癒されていない子どもの私」が、嫉妬と怒りで大暴れし始めたのです。
次回は、私がどうやって「母親」という役割の中で自分の醜さと向き合い、泥だらけになりながらインナーチャイルドと仲直りしていったのか。 その、あまりにもリアルで、あまりにも痛かった「自分を取り戻す旅」の続きをお話しします。



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