「ママを助けに来たよ」——娘を愛せなかった私が、ヒプノセラピーで出会った“醜い”自分

こじらせ女子の心理学

「仕事は頑張れば成果が出るのに、なぜ子育てはこんなに苦しいんだろう」

必死に勉強してアメリカで正看護師になり、ずっと欲しかった親や家族、友だちからの称賛を手にしたのに、私の内側にある空洞は埋まりませんでした。

▶︎第1話はこちら:私がインナーチャイルドと出会うまで|アメリカでの成功と心の空洞

「私は生まれ育った家族には恵まれなかったけど、自分で家族を作れば幸せを感じられるかもしれない」

そう信じて、結婚し子どもを産みました。けれど、そこからが本当の意味での「人生の再構築」という、壮絶なリハビリの始まりでした。

「私だって泣きたい!」キッチンで崩れ落ちた日々

当たり前ですが、子どもを授かってからは、独身の時のように自分の意志だけで物事は進みませんでした。子どもは、自分の気分のままに泣き、疲れれば寝る。私のペースは無視して、「自分のペースを崩さない」子どもの姿に、私は猛烈に苛立ちました。

「私だって泣きたいよ!いい加減にしてよ!!」

こんな風に叫びながら、言葉もろくに話せず泣き叫ぶ娘をリビングに放置して、一人キッチンに駆け込み、扉を力任せに閉めて大声で泣いたことは一度や二度ではありません。

An illustration of a distressed Japanese woman sitting on the kitchen floor with her face in her hands, crying. Scattered colorful building blocks and toys are on the floor around her in a dimly lit, somber kitchen.

自分が望んで産んだ子なのに、なぜこんなに憎たらしいのか。当時は分かりませんでしたが、今なら分かります。私の中の「子どもの私」が、自分はケアされないのに目の前の子どもだけが相手をしてもらえる寂しさと苦しみに、激しく嫉妬して大暴れしていたのです。

ロンドンの「輝くワーママ」の裏側で

日に日に強まり収まることを知らない子どもへの苛立ちに、「いつか虐待がエスカレートして、取り返しがつかない現実がくるのでは」と恐怖を感じた私は、子どもを保育園に預けて働くことにしました。

一見すると、イギリスに移住し、結婚、出産。そしてロンドンで仕事を見つけてワーキングママとしてキャリアを再開。絵に描いたようなキャリアと私生活を両立している女性に見えたかもしれません。けれど、心の中ではこんな暴言が鳴り響いていたのです。

”子どもを可愛いとも思えない動物以下の存在。専業主婦すらできないクズ”

自らの脳内で叫び続けているこれらの言葉を拭い去るように、無心で働き、通勤時間は育児書を読み漁りました。けれど、どんなに仕事を頑張っても、どれほど育児書を読もうとも、子どもと一緒にいる時間を心から楽しめる日は来ませんでした。

そんな自分がどんどん苦しくなり、娘と距離をとるために、可能な限り平日休みを取り、週末に仕事を入れるようになりました。物理的に離れることでしか、私は自分を保てなかったのです。

Light and darkness

実家という名の「針のむしろ」への帰還

そんな中、娘の日本語教育のために、小学校入学前に10ヶ月間日本へ帰国することになりました。滞在先は、私の実家。

多くの人にとっては心が休まるであろう場所ですが、私にとっては針のむしろでした。幼い頃から言葉と身体的な暴力によって支配され、苦しみ抜いてきたあの場所。家族内の役割は一見変わったように見えても、「私を否定する文化」は以前と変わらず居座り続けていたのです。

そんな崖っぷちの時に、ふと申し込んだ「写真による透視」が、私の運命を変えることになります。

「しのゆかさんのお母さんは、周囲に認められたくて必死に頑張り、そのストレスのぶつけ先がしのゆかさんだったのです。その苦しんでいるあなたを助けるために、娘さんはあなたを母親に選んで生まれてきてくれたのですよ

まさかの言葉でした。腹を痛めて産んだわが子を可愛いとも思えず、自分を「動物以下」だと思っている非情な私を、娘が助けに来てくれた?

A heartwarming illustration of a young girl, about five years old, gently hugging her crying mother from the side to comfort her. The scene takes place in a dimly lit living room with a warm lamp glowing in the background.

理解したくても理解できない。けれど振り返れば、娘を妊娠したときに「私と同じ苦しみはこの子には味わわせたくない」と強く心の中に誓っていたのです。そして、その方法を探すために、私は育児書を貪るように読んでいたのでした。

生きづらさの正体、そして「醜い」私との対面

そこから私の読む本は、育児書から「自己啓発」や「毒親」「インナーチャイルド」という、忘れ去りたかった世界へと変わっていきました。

名著『毒になる親』を読み、あまりのシンクロにフラッシュバックを起こしながらも、親へA4用紙14枚に及ぶ決別の手紙を書きました。しかし、郵送した手紙に返事が届くことはありません。精神的に追い詰められた私は、このままでは大事な目の前の家族との生活ができなくなると思い、ヒプノセラピーを受ける決心をしました。

セラピストさんの誘導で、内なる子どもの自分(インナーチャイルド)と対面したとき。「どんなお子さんですか?」という質問に、私は言葉を失いました。胸の中に浮かび上がった文字を、どうしても口にできなかったのです。

An illustration of a woman lying on a bed during a hypnotherapy session, staring at the ceiling with tears rolling down her cheeks. An older, professional female therapist sits in a chair by the bedside, watching her with a kind and supportive expression.

泣きながら、ようやく絞り出した言葉。それは——

「……醜い」

という一言でした。これこそが、私が長年悩み続けた得体の知れない苦しみの正体でした。自分自身を「醜い」というくらいに自分を嫌っていたんだな。だからこそ、私の人生はこれまでこんなに苦しかったんだと、人生ではじめて心の底から納得する答えを得られたような感覚がありました。


まだ第1話を読んでいない方はこちらからどうぞ

アメリカ正看護師になっても消えなかった「生きづらさ」。私が手に入れたのは“虚無の成功”だった
アメリカで正看護師になるという夢を叶えたのに、心は一滴も揺れ動かなかった。アダルトチルドレン(AC)として育ち、圧倒的な実績でしか自分を認められなかった私が、絶望の果てに「自分との仲直り」を始めたプロセスを綴ります。同じ生きづらさを抱えるあなたへ。

次回予告:自分と仲直りする旅の終わり

自分自身を「醜い」と定義していた私が、ここからどうやって娘の手を取り、ロンドンの空の下で笑えるようになったのか。

次回は、どん底の私を救ってくれた「子育ての先輩」の言葉と、自分と娘を同時に解放していった再構築のプロセスについてお話しします。

コメント