こじらせたまま愛されていいって、本当ですか?
「やりたいこと」なんて考える余裕もなくて、
毎日、気づいたら“やるべきこと”に追われている。
そんな日々に、心当たりないですか?

朝5時に起きて、家族のごはんを用意して、仕事して、家事して…
「ワタシばっかり頑張ってる」「なんでわかってもらえないの」って思いながらも、
誰にも言えなくて、今日も“ちゃんとしたワタシ”を演じてる──
実はワタシも、ずっとそうだった。
でも今は、こじらせたまま愛されていいって思えるようになって、
不器用なまま、自分らしく、自由に生きてるよ。
このブログでは、かつてのワタシみたいに
“ちゃんとしなきゃ”の呪いに縛られて苦しんでる人に向けて、
「そのままでも大丈夫」「こじらせたまま愛されていい」
そんなメッセージを届けたくて書いてます。

完璧を求めて疲れ果てた朝のリアル感
ご飯すら回らない日々。「私って終わってる」と思った朝
朝ごはんも、お弁当も、夜ごはんの下ごしらえも。
全部ちゃんとやらなきゃと思ってたのに、
気づいたらギリギリになって焦ってばかり。
手際よくできない自分が情けなくて、
「女として終わってる」って、本気で思ってた。

仕事、保育園の送り迎え、家事、子育て、自分の支度…
やらなきゃいけないことばかりに追われて、
「ワタシはどうしたいのか?」なんて、考えたことすらなかったんだよね。
人生は、「やりたいこと」じゃなくて「やるべきこと」で埋め尽くされてた。
だからいつも、「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんと見られなきゃ」って
気を張って、24時間気を抜けなかった。
娘の一言にショック。でも気づいたのは「自分のクセ」だった
ある日、食器を拭いていて手が滑り、お皿を割ってしまった。
落ち込んでたワタシに、娘が言ったんだ。
「ママがちゃんと持ってなかったから悪いんだよ」
ショックで、心がズシンと重くなったその瞬間──
ふと、気づいたの。
ああ、いつもワタシが、娘を責めてたんだ。
いつもワタシが、自分を責めてたんだ。

このとき、はじめて「このままじゃダメだ」って思った。
娘は“人生のメッセンジャー”だった。透視で言われた一言
そんなタイミングで出会った、ある“透視”の方の言葉。
「娘さんは、苦しんでいるあなたを助けるために、あなたをママに選んで生まれてきた」
その一言で、涙が止まらなかった。
思い返せば、娘を妊娠したことがきっかけで、
ワタシの人生は少しずつ動き出してたんだよね。
それに気づいてから、娘を見る目が変わった。
“ワタシの人生を邪魔する人”から
“ワタシに大切なことを教えにきてくれた人”へ。
頑張らなくても、愛される世界って本当にあるんだ
もちろん、すぐにすべてが変わったわけじゃない。
親との関係にも向き合い、 人を信じることを練習して、 誰かに頼ることも少しずつ覚えていった。
少しずつ、内側がほぐれていった感じ。
今ではもう、「我慢しなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」は手放して、
こじらせたままで、愛されて、自由に生きてる。
「また責められてるかも」妄想癖と、今の向き合い方
会社でも家でも、「責められてる気がする」って
妄想が出ることは今でもある。
でも今は、それを家族にそのまま話せるようになった。
「いや、妄想すごすぎやん(笑)」って
夫も子どもも笑って受け止めてくれて、 ワタシも「あーそうなんやw」って笑って終われる。
友達からも、「思ったことを素直に言ってくれるところが信頼できる」って
言ってもらえるようになった。
昔は“大人なんだからちゃんとしなきゃ”って思ってたけど、
今は、ありのままのワタシを見せることで「大好き」って言ってもらえる。
だからこそ、今のワタシは、
忖度できない自分もまるごと好きだと思えるんだ。
自己否定ループを抜けた今、伝えたいこと
このブログを始めた理由は、
かつてのワタシのように、自分を責めて苦しんでいる方に
「ひとりじゃないよ」って伝えたかったから。
些細なことで責められてる気がして、
人の目が怖くなって、自分を閉じ込めてしまう──
本当は大切な人たちと、心を開いて繋がりたいだけなのに、
その方法がわからなくて、孤独を感じている。
ワタシもずっと、そうだった。
でもね。
ほんの少し見方を変えるだけで、
こじらせたまま愛される世界は、ちゃんとあるんだよ。
こじらせたまま愛される私のこれから
そんな世界を、ワタシはこれからも全力で謳歌しながら、
「え、こんな世界あるの?」って驚く人たちに、少しずつ届けていきたい。
このブログは、その第一歩。
ワタシのこじらせた日常や、ふとした気づき、
ありのままを、ここに綴っていくね。
気になったら、また読みにきて♡
▶ 次回:「こじらせビフォーアフター」記事はこちら(coming soon!)