少し前までの私は全力疾走の自分以外は認められない人でした。だから毎日毎日必死で目を血走らせながら走り回ってました。自分のことは全て後回しで、めちゃくちゃ早起きして家事も仕事も全部自分で抱え込んでました。自分で自分を追い込んで、それをこなす自分に酔ってたのかもしれません。頑張れない自分を認めたくなくて、必死で毎日頑張ってた私。「私がやらなきゃ!!」この言葉だけに支えられて血相変えて全力で駆け抜けてた日々。
自分の限界を知らず暴走した果てに
ゆっくり、自分を緩めてあげられなかった私は気力だけで日々乗り切っていたのですが、長続きすることなく突然電池切れとなることがありました。定期的に突然やってくる電池切れのタイミング。そして充電式電池が劣化していくように、私が頑張れる期間はどんどん短くなっていく。電池が切れたらどうなるの?もちろん、被害者となるのは子供たちと夫。夫には言わなくていいことまで口走り、「私ばっかりこんなに頑張ってるのに、あなたは何もしてくれない!!」そう雄たけびを上げてました。夫からすれば何も頼んでないのに、勝手に頑張って勝手に疲れて劇切れしてる妻。それが私でした。私が頑張ってるからと言って家庭内の雰囲気が良くなるわけではなく、常にちょっとピリピリしてる。私が限界に達した時は家庭内の雰囲気最悪でした。
「頑張らない私は無価値」という思い込み
「ただ存在するだけで良いんだよ」と自分を受け入れられた時に初めて過去の私が「頑張らない私は無価値」であり「条件付きでしか自分を受け入れられていなかった」事に気づくことができました。イギリスに移住してすぐに妊娠して専業主婦になった時に感じた「お金を稼げない私は無価値」という感覚。就職してしばらくして感じた「昇進しない給料が低い自分は未熟」という感覚。母親として妻として「弁当作って、毎日手料理を作らないと失格」という感覚。これらは全て私の勝手な思い込みだったのだとわかりました。自分に自信がないから自分に鞭打って、もっともっとって頑張ってみる。
頑張りすぎてた自分からのギフト
頑張りすぎることは悪い側面ばかりではありません。鞭打って頑張るから、人として成長できるという側面も持ってます。頑張りすぎてた頃の私がいたから、今の私は無意識レベルでパッとしない食卓ですが安心な手料理を並べることができています。仕事も当時必死で理解した知識が今の仕事の基礎となり役立っています。
頑張れる時は頑張ればいいんです。だけど、無理して自分に鞭打ってまで頑張らなくていいんです。人間だから、ホッと一息つきたい時もある。愚痴の一つや二つ吐きたい時だってあります。それは悪いことではないんです。むしろ、自分への優しさであり愛だと私は思っています。無理せずに休むということを自分に許してみませんか?

ホッと一息つける場を仲間と一緒に作りました。私を含また仲間はそれぞれがむしゃら期を過ごして疲弊してきた頑張り屋隊です。だからこそ、頑張りすぎてるあなたの辛さが誰よりもわかります。守秘義務が守られ、大きな将来の夢から愚痴まで、そして「疲れてるよ〜」って言う心の声も全て受け止めてもらえる、そんな場を作りたい。その想いで作った場です。無料なので、ぜひ遊びに来てくださいね。
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