ライフミッションストーリー

私のライフミッション①

私のライフミッションは子供たちが個性を発揮してはばたける社会を作ることです。

私は両親との確執、日本社会への不適応、育児ノイローゼ、専業主婦挫折と長年様々な葛藤の中で生きてきました。人生は辛く苦しいものだと思って生きてきた私が人生を楽しめるようになったストーリーです。

孤独感でいっぱいの子供時代

私は海外とは無縁の田舎に生まれ育ちました。陰口や噂話が横行し本音と建前が当たり前の社会。これが私が子供の頃に思い描いていた大人の日本社会でした。

子供たちの学業レベルが親のステータスの様な風潮もあり、親たちの間では子供たちの学力が優秀=素晴らしい子供という縮図があった様に記憶しています。

私は運動も勉強も芸術的センスすらも持ち合わせていない不器用な子供でした。本来なら話題にすら上がらない特技もない私は、何でも器用にこなす年子の兄のお陰で噂になる事がありました。「〇〇くんの妹だから優秀でしょう」と言われて勝手に貼られた偽りのレッテルを剥がれた後は「兄妹でも違うんですね…」と勝手に落胆される。家庭内でも常に兄と比較され卑下される日々の中、私は完全に孤独感に苛まれていきました。

そんな生活が長引けば必然的に引き起こるのが心の不健康。私の場合は不定愁訴という形で小学生の頃から身体の怠さ、無気力、頭痛という症状で現れてきました。当時はまだ心の健康が注目されていなかった時代。

病院に行っても体調不良の原因はわからず終い。その結果、仮病の疑いをかけられることとなり、「勉強も運動もできない」その言い訳をするために体調が悪いと嘘をついていると一括されてしまいました。

そんな時に父の知り合いがアメリカ駐在から一時帰国し、アメリカ生活について話を聞く機会がありました。テレビや本でしか知ることのない外国の話を聞けた私はワクワクが止まりませんでした。孤独感でいっぱいだった私は「この国には私のことをわかってくれる人はいない。だけど、別の国に行けば、私を認めてくれる人がいる。私は必ず海外で活躍する」という根拠のない想いを胸にいだくようになり、それを支えに辛かった子供時代を乗り切りました。

海外移住までの道のり

海外移住という夢を叶えるための資金準備として、また私が悩み続けた原因不明の体調不良の原因がわかるかもしれないと医療職に興味を持ち看護師になりました。

看護師になったばかりの私は、何もできないのにプライドだけは一人前。責められたら防衛行動のため感情を荒げるという扱いにくい新人そのものでした。

当時の部署内の責任者であった主任はトラブルメーカーだった私のために、何度も個人面談を設定して私の声を聞き一緒に成長するための方法を模索し続けてくださいました。主任の辛抱強いサポートで初めて劣等生ではない自分と出会い、学ぶことが楽しいとまで思える日々を過ごしました。そして、2年目の時に主任から今年一番成長したスタッフと言っていただけるまでに成長できました。

このまま看護師として働き続けるのも悪くないかなと思い始めていた矢先、私の恩人である主任が昇進し移動されることが決まり、その後の変革で職場環境が激変しストレス性急性胃炎を患い仕事を続けていく事が難しくなり退職することを決意。小学生の頃から胸に抱いていた海外で活躍するという夢を求めて日本を離れる事にしました。

夢にまで見たアメリカ生活…

夢と希望に満ち溢れた状態でカリフォルニア州サンフランシスコ郊外の田舎街に降り立ちました。文化の違いなどに戸惑いながらも長年夢見た海外移住を成し遂げたことに安堵感と高揚感に満たされ地に足がついていないような半年間を過ごした後、アメリカに来て成し遂げるべき目標を考えました。そして、ビザ(滞在許可書)のキープのため在籍していた短大を卒業すること、カリフォルニア州の正看護師免許試験合格に目標を定めました。2年かかってカレッジを卒業し看護師試験にも合格して…長年夢見たバラ色のような生活が待ってるはずでした。しかし、満たされた気持ちを味わえたのは一瞬だけで、現実には代わり映えのしない自分を認めざるを得ませんでした。

結婚・イギリス移住・妊娠

2年半の留学を終え、交際していた夫と結婚し夫の勤務先であるイギリス•ロンドンに移り住みました。

ロンドン移住してすぐに妊娠が発覚。その時自然に湧き上がってきた気持ちが「この子には私と同じ辛い人生を歩んで欲しくない。」という気持ちでした。ずっと無意識下に押しやっていた「生きづらい」という感覚が一気に蘇ってきた瞬間でした。

専業ママ挫折

妊娠中に人並みの母性があることを自覚できたはずの私を待ちうけていたのは、出口のないトンネルのような真っ暗な日常でした。自分で産んだ子どもなのに娘を可愛いとも思えず、言葉では表しきれない私の不十分感は娘への苛立ちという形で日々表現されていきました。言葉も十分に話せない娘に向かって奇声を上げ続ける日々。「このままでは虐待してしまう」という恐怖心を抱き、私は娘と物理的距離を取るために就職することを決意しました。

運よく、就職先も娘の保育園も決まり、ワーママ生活が始まりました。

同僚たちからは、頼れる親族もいない慣れない外国で子育てしながら働く頑張り屋さんのママと見られていた私

でも、その実態は

子育てもろくにできない自分…。専業主婦挫折…。

これがワーママとして働き始めた私が自分自身に貼っていたレッテルでした。必死で自分自身に貼ったレッテルを剥がそうともがき苦しむ私は世の中に出回る育児書を読み漁りました。そして、私の運命を大きく変える1冊の本と出会いました。

あなたは自分が好きですか?

菅原裕子著 子どもの心のコーチング の214ページの書き始めの質問です。

何十年も生きてきて考えたコトすらなかった質問でした。嫌いなところなら数えきれないほどあるけれど、好きなところは1つも見つかりませんでした。私は自分のことが嫌いなんだ…30年余り生きてきてようやく気付いた大きな課題でした。

自分のことが好きでなければ、生きているのは苦痛です。
(54ページより抜粋)

長年苦しみ続けた「生き辛さの正体」が自分の中にあったのだと気づいた瞬間でした。そして、イライラの矛先になっていた娘をも救えるかもしれないと一縷の望みを感じた瞬間でもありました。

それから「自分を好きになる」というテーマで検索し本を読み実践する日々を過ごしました。自分の好きなところを毎日50個書く、褒め日記を書く。言葉だけ聞けば誰にでもできそうなことですが、当時の私にとっては試練そのものでした。褒めポイントを探せず毎日何時間も泣きながら悩む日々。自分を好きになるどころか自分嫌いが加速していく現実に打ちひしがれ自然と自分を好きになるワークから遠ざかっていき生き辛さと共に生きていく日常に戻っていきました。

ライフミッション②に続く

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