5-3.自己受容

目標達成のために自分ができることにフォーカスする!!

自己受容セミナー3回目受講しました〜。自己受容って生きづらさ解消の全ての根源で、みんなが学び始めると世界平和だって夢じゃないと言っても過言ではないくらい大事な根源的なことだと思います。自己受容できると今ある幸せにも気づけるし、周りの人も受け入れられる。それでもってイライラすることも激減するし良いこと尽くめです。
今回も講座中に頭の中にいっぱい「?」が浮かんで、過去から今に至るまでいろんな経験談を探して考察しまくった2時間でした。今回もポイントを4つにわけて学びを整理してみました。長いですがお付き合いください。
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①アドラーの教え「課題の分離」とは

嫌われる勇気という本に「馬を水飲み場に連れていく事はできても、馬に水を飲ませる事はできない」という言葉とともに解説されていたのが課題の分離。講座中は英心先生の部活指導時のお話を伺い「他者を受容することは決して自己犠牲とイコールではない。自分のことも大切にしてあげる」ということを教えていただきました。
この話を聞いていて私が振り返ったのが今年初めに仕事で関わってたプロジェクト。突然、リーダーのアシスタントをせよと名を受けプロジェクトを実質切り盛りすることになった時のことでした。業務未経験スタッフと日本業界タスク未経験のイギリス人リーダーとの板挟みでアップアップしてた懐かしき思い出です。リーダー次第で働きやすさが雲泥の差だという事を痛いほど経験してきてるので、自分ができる最大の努力をしようと望んだプロジェクトでした。
スタッフの知識レベルを統一するためにプロジェクト開始前に個別にトレーニングをして一通り知識レベルを揃えた後、日々アップデートされる詳細情報を適時整理してメールで送ったり、関連書類をアップデートしたり。個別資料まで作って画面共有しながら説明もしてました。私なりに当時できる事は全て出し切った感があったのですが、受け手の反応はマチマチでした。私のやった行為に感謝して学んでいってくれる同僚もいれば、空気を叩いてるかのように何も変化のない人もいて悩んでた当時の私。あの時は必死で自己犠牲してる自分をひた隠しにして走り抜けてたように思います。同じ説明を角度を変えて何回もしたけど、最後の最後に実際の文章を見ながら説明してくれないとわからないとクレームを受けたり…心折れそうな日々を「この人に理解してもらうのが私の役目だ‼︎」と無理に自分を奮い立たせてました。業務内容を理解し独り立ちするというチームメンバーの課題を自分の課題と勘違いしてたのだと講座中に気づきました。
当時の私が課題の分離という考え方を採用できていたらどうしてただろうと考えてみました。自分がこなさないといけない業務とは別にサポート業務があり唐突にやってくる突拍子もない質問たちに完全に翻弄されてた私。自分のペースを乱されるのが一番苦手な私にとってはかなりハードな時間でした。当時の私が掲げてた目標は「それぞれのチームメンバーが独り立ちする」という事でした。目標の主語が自分ではなく他人にあり、自分の力だけでは解決できない目標を掲げていたので苦しかったし、スタッフにも「私に寄りかかっていいよ」という非言語のメッセージを送っていたのかなとも思います。
講座の少し後に上司から「僕の休暇中に新たなプロジェクトメンバーが入ってくるからサポートよろしく」と連絡が来て、今年初めの疲弊しまくった新人サポートのリベンジの機会を突然頂けることになりましたあ。。棚ぼた的にやってきたTry and Error実践のタイミング‼︎なので、前回の学びを生かし、今回の目標は自分の力だけで達成できるよう「前回作った業務マニュアルを改善する」ことにしました。昨年作った指導マニュアルの改善のために、サポート中に出た質問からマニュアルの改善項目を洗い出すことに注力したいなと思います。私が新人さんのために出来ることは、私が持ってる知識や考え方を教えること。そのためによりわかりやすい資料を準備することは私の行動だけで完結します。でも、その知識を新人さんが習得してくれるかどうかは私の影響の輪の中にはないなで相手に委ねる。これが私が課題の分離を再度学んで立てた目標です。

②「受容の5段階」って何?

受容には5つの段階があるという事を講座で初めて知りました。

何を受け入れるかで幸福度は変わってくる

マズローの欲求5段階説と同じように低次受容から満たされていくと健全なのですが、最高位の結果受容に目が行きがちなのが現代社会。何か成果物がないと自分を受け入れられないから苦悩しかないわけですが、結果が一番簡単に目につきやすいので意識を持っていかれがちです。
この5段階を教えていただき、改めて私は自分に対して結果受容しかできてなかったなと思い知りました。昨年末から仕事が大忙しなのに加え、ロックダウンの影響で子供たちの学校スケジュールもコロコロ変わるし、娘は小学校の最終学年なので卒業関連行事や中学進学準備など盛り沢山。そこに私がやりたい事としてコーチング活動も盛り込んでたから完全にキャパオーバー。それなのに私の意識は結果にだけフォーカスして、できてるコトだけを数えてしまい「私なんてまだまだ〜」って言う『もっとやらなきゃ地獄』に足を踏み入れてた。最後は気持ちだけ空回りして疲れすぎて倒れ込む…。今年だけですでに2回くたばってる私です。自己受容に対する学習能力の欠如が素晴らしいとさえ自分で思ってしまう。頑張りすぎず、たるんだ糸のように自分を緩めながら過ごすことが私のこれからの人生の目標。その目標を掲げたからこそ自己受容セミナーとも出会い学びを深めて「あんた、まだまだやで。もっと出来るやろ?」って言う内なる悪魔との長期戦を戦ってるのかなと思う。孫氏の教えの様に戦わずして勝てたらいいなと思うけど、毎回真っ向勝負を挑んで敗北中 笑 とはいえ、そんな悪魔が私の中にのさばってくれてたからこそ、私は努力し続けられる自分という最強の武器も手にしてるので悪いコトばかりではないとわかってたりもする。悪魔と天使の戦いはいつまでも続くってことかな。

この5段階受容は子育てを通して見聞きする色々な事がらとリンクしすぎて頭の中が大忙しでした。このトピックだけで少なくとも1記事は書けてしまいそうなので、今回は私の事だけサラリと書いてまとめます。

③ Must⇆Want - 相反する2つの想いとどう付き合っていくか

対局するかのような位置にある「ねばならない思考」と「〇〇したいと言う想い」が実は表裏一体なんだという話。
私の両親は子供の幸せを思うばかり親が信じる幸せの型にはめようと私にMust を求めていた。目的地まで失敗や危険がないように砂利道を事前に舗装した道にしてくれてたのかもしれない。両親のWantと私のWantが少なくとも重なり合う位置にあったならお互いの苦労はなかっただろけど、全く違う位置にあったからお互いに苦い想いをしながら長年やってきた。両親の私を想う「幸せになってほしい」という想いは、いつの間にか「子どもを幸せに育て上げなければならない」という風に重圧として両親にのしかかってたのかもしれないなと思う。そんな両親のMustな気持ちの重圧を少なからず感じて私は両親の意向を自分のMustとして受け取り、自分の内なる希望であるWantを押しつぶして生きることを自ら選んできてたのかもしれない。だからこそ、私にとってMustとWantは相反する対極に位置する考え方だったりする。
MustとWantは対極ではなく相互に関連しあうものだと考えたときに出てきたのが娘の乗馬レッスンの先生の指導方法だった。娘が通っていた乗馬スクールでは騎乗姿勢を徹底的に指導されていた。足首の角度、手綱の引き具合など細かく指導が入るし、それらができないままだと次の練習にう進めない。馬が小走りの状態で40分ひたすら立って座っての上下運動をさせられてた時もあったくらい徹底していた。その時、先生がずっと言い続けていたのが悪い姿勢のまま騎乗することで馬にどんな悪影響があるのかと言うこと。馬好きの子供たちが乗馬にとってのMustな騎乗姿勢を安定させるため、言葉を使って子供達のWantに働きかける指導をしてくださってたのかなと思えた。
ココまで来て、ぶつかるのがMustは悪者でWantだけが良いのかという問題。「私はコレがやりたいんだ‼︎成し遂げたいんだ‼︎」とその想いばかりに焦点が当てられると、希望しかなかったワクワクした未来がいつの間にかMustに彩られ「私はコレを成し遂げなければならない」になってしまう。2つの相反する「ねばならないとしたい」のバランスがとても大事になってくる。絶妙な距離感や関係性が私みたいな思考優先型には難しい。自分を信じて言葉では表現しえない絶妙なバランスを感覚で自分に落とし込んでいくのがいいのかも。そんな玉のりみたいな感覚が達成できたときに爆発するかの如く目の前の世界は回り始めるのかも。人生の使命を知りそれが腹落ちできた時の歯車は周り始めるけど、それでも山あり谷あり。手作りの歯車だから改良と修理を繰り返しながら歯車を回し続けるのが人生。動きが悪くなったときに、MustとWantのバランスが崩れてる時と捉えることができたら無駄な労力を使ってジタバタしなくてもいいのかもしれない。
講座では「MustとWnatの人生日食:MustとWantが完全に重なり合った時、人生の化学反応が起こる」と教えていただきました。今の私はまだ重なり合うというレベルまでMustとWantとの付き合い方を習得できてません。講座中、すごくいい言葉だなと思ってメモしたのに、こうして言葉として書き始めるとうまく書けないから。まずはバランスを取る。コレが今の私が意識することかな。
その上で健全にwantを育てるために「自分で変えられるもの」だけに焦点をあて「やりたい、やれそう、やったら良さそう」という自分の感覚を信じて小さな芽を大切に育てていく。小さな1歩でも続けることに意味がある。夢みる未来に立つためにWantのエネルギーで行動し続けよう‼︎

④ 今の私の共同体感覚はいかに?

アドラー関連の本を読んでいて私が一番理解できてなかった箇所が共同体感覚というところ。私の理解がズレてるかもしれませんが、恐れずに私の解釈を書いていきたいと思います。人は所属感を得ることで勇気を持つことができる。その所属感は「自己受容」、「他者信頼」、「他者信頼」の3つに大別される。今の現在地を知ろうということで、それぞれを10点満点で採点してみる。先月、新しい業務に移ることになった関係で仕事に関して精神的にきついなと感じていたので仕事に関して採点してみました。

3つの要素が相互に影響し合ってる…

過去とは比べ物にならないくらい自分の事が大好きだったはずの私なのに自分の事が好きという感覚が10点中4点。その原因は自分がチームに対して貢献できてるかという視点が低いことに起因してました。新しい業務に移ったばかりのため、一つ一つの作業に時間がかかる上にきっちり学びたい派の私は頂いたフィードバックを読み込んで詳しいところまで質問してしまうため、育ち切るまでに時間がかかります。同僚の中には細かいところまで質問されるのを嫌う人もいるし、人に説明できるレベルまでの理解度ではない同僚からは質問を無視されることもあるので、他者信頼という項目も3点と低めです。別に誰から咎められたわけでもなく、マネージャー陣からも今回の業務への移動はビッグステップで適応できない人もいるくらいの変化だと温かく受け入れてもらってる状況なのですが、できない自分をそのまま受け入れることができてないということの現れなのだと思います。
できてない自分を受け入れるために、今の私ができることを考えてみると自分を見つめる視点を変えていくしかない。今の自分を仕事が遅くて質問ばかりしてる自分と受け止めるのではなく、近い将来チームに貢献できる自分になるための準備期間と捉え直すこと。そして、そんな自分を想像しながら学べるチャンスを逃さず真摯に向き合う事が今の自分ができる最大のこと。

他者にも自分にも居場所と出番のある環境を育てていこう。講座の一番最後のスライドの言葉。自分の苦手も周りの苦手も受け入れて、得意を活かしあってチームを作っていく。一人の人間とは言え、色々なチームに属してるもの。私でいえば母親や妻として作り上げた家族としてのチームメンバーであり、娘として生まれ育った家族の1員でもある。それに加えて会社でのチームもいくつかある。そのそれぞれで自分の居場所があり、出番に備えて自分の役割を明確にしていくことが混乱なく今できることに集中できるのかもしれないと思わせてもらえた時間でした。他人の目が気になってる時は自分のことに集中できないものだから、自分のことに集中できるという事が言い換えれば余裕があるという事でもある。その余裕を周りの人にも出番がある環境を作ることに向けてみるってイイ。
私の成し遂げたい社会は子供たちが個性を発揮してはばたける社会をつくること。それを実現するための第一歩はありのままの自分を受け入れることで、それが自己受容。その大きな一歩が深いから一筋縄ではいかないけど、だからこそ人生は面白いのかも。できてない自分を伸びしろいっぱいな自分と受け止めて、学び成長し続けようと思えた講座でした。

-5-3.自己受容

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