3.子育てに言葉のチカラを使う

現在地を知る前にどうなりたいかを思い描こう!!

「集団の中で自分は今どのくらいの位置にいるのか?」

そんな風に考えたことありますか?意識的に考えたことはない方も、きっと無意識レベルで常に頭の中にある人が多いのではないかと思います。現在地を知ることも、基準値を知ることもとても大切なコトですが、それを先に考えすぎると苦しくなってしまいます。

義務教育の中で徹底的に育まれる集団の中での自分の位置

私は何度も書いてますが、元祖落ちこぼれ時代を日本で過ごし結構辛い子ども時代を過ごしてきました。そんな私が日本を飛び出してイギリスの教育をメインにちょっとだけアメリカの教育も味見して感じたのは「日本の教育は集団の中で自分(子ども)はどこに位置しているかを意識させることに特化している」ということです。

学校の評価システムは全て相対評価
これ日本にいた時は当たり前で何も思ってなかったのですが、今思うと不思議でたまらない評価システムです。10点満点で10は〇人、9は〇人って感じで決められた枠の中に子供たちを当てはめていくシステム。この部分が得意だから伸ばしましょうとかいう評価ではなく、10に近い数字が並んでれば優秀な子、遠い数字が並んでれば勉強ができない子的な感じでしょうか?これは私の勝手な思い込みもあるかとは思いますが…

受験期に入れば偏差値という地獄の数値
言わずもがなな偏差値という言葉。平均点を50として計算された数字で自分の点数がどれくらい優れているのか、もしくは劣っているのか…それがわかりやすい指標として数字で出てくる。偏差値60後半から70以上あると超優秀というくくりに入れるのでしょうか?そこを目指して勉強するのかな?落ちこぼれだった私からは遠すぎて現実逃避したくて実際に逃げた世界でした。

将来どう生きたいのかを考える

相対評価と偏差値教育2つを取り上げたのですが、私はこのシステムを否定してるわけではありません。ただ、何となく根本的に何か抜けてるなと思ってるんです。抜けてる物の正体は「自分はどうしたいのか?」、「将来どんな風に生きていきたいのか?」という事です。
「成績が良ければ選択肢が増えるから勉強していい成績を取りなさい」。私はこんな風に言われて育ってきました。確かに、成績が良ければ大学進学の際に大学を選ぶことも、学部を選ぶこともでき選択肢が広がります。だけど、私にはそれを思い描けるだけの知的レベルが足りなかったのです。両親が教えてくれた選択肢を増やすための努力という視点は正論なのですが、落ちこぼれだった私の心には響いてこなかったんです。
落ちこぼれとして生きていく中で選択肢が狭まり、結果として「あなたの成績ではココくらいなら狙えるんじゃないですか?」的な進路指導を受けることになった私。そこに将来どう生きたいかという想いを描く機会を与えてもらえませんでした。「目の前にある選択肢の中から選んでね」っていう感じでしょうか?

今の自分でもなれそうな安定した職業としてキャリアを選んだ結果

看護師になったことを後悔はしていませんが、私に向いていた適性があった仕事ではありませんでした。人からみじめだと思われないような、くいっぱぐれない職業で私の学力でもなれそうな職業。それが私にとって看護師という職業でした。命を扱う尊い仕事なのに、こんな不純な気持ちで足を踏み入れて苦労しないわけもない。今ならわかることですが当時は完全に見失ってたなと思います。看護師という選択をしたからこそ、貴重な出会いと学びを数えきれないくらいさせていただいたことに感謝しかないのですが、未熟者時代に出会った患者様たちには申し訳ない気持ちがいっぱいです。

現在地を知る前に理想の未来を思い描こう

高校生時代の私に今アドバイスができるとするならば、「あなたはどんな生き方がしたいの?」という事を徹底的に自分に問いなさいと伝えたいです。「集団の中で今このレベルだから…」と自分に制限をかけて将来を思い描くのではなく、真っ白なキャンバスに絵を描くようにどんな小さなことから大きなことまで何でもいいから描いてごらん。そんな風にアドバイスしたいです。心の声に蓋をせず、思いのたけを全部出す。そこから現在地を知って目標地点まで行くにはどうすればいいのかを考える。
子どもたちだけでなく、大人である私たちも大いなる可能性を秘めている。その可能性に制限をかけず精一杯人生を謳歌するために、周りの中で自分がどこにいるか?なんていうちっぽけな質問は封印していいんです。自分がどうなりたいか!!そこが一番大事だから。

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