来月6歳を迎える息子の誕生日会をお友達と合同で開催しました。小学校に入って早くも2年。ロックダウンの影響で半分近く学校に通えなかった息子たちのクラス全員を招待して行いました。
感染の懸念もあるだろうと屋外アクティビティの中から公園でブッシュクラフトパーティーにしました。エンターテイナーを雇って公園を散策して落ちてる枝を拾い集めて作品を作ったりしながら子どもたちは楽しそうに参加してくれてました。当日はあいにくの雨で開始時間前に土砂降りに見舞われ心配になりましたが、パーティーが始まってからは天気も落ち着いてくれてなんとかやりきれました。
何となく居心地の悪かった息子関係のママの輪
娘の友達のママたちとはそれなりに交流を深めていけてるのですが、息子の友達のママたちとはなかなか打ち解けられず…若干息子の友達家族との接触を避けてるんじゃなかろうかくらいだった私。そんな私もパーティー主催者となり色んな人と雑談しながら話せて、時間はかかったけど少し打ち解けられたかなと少しホッとしています。息子の場合高校卒業するまで同じ学校に通う予定なので、お互いにいい距離感で付き合っていけたらなと思っています。
私はお世辞にも社交的ではないし、英語というハンデもあるので受け身的な人間関係を築いてくる事が多かったです。「自分から積極的に話しかけて冷たくされたらどうしよう?」とか、どんだけ面倒な人間やねんって今なら思うのですが少し前までは真剣に考えてました。傷つきたくないから敢えて避ける的な。そっちの方がよっぽど感じ悪いのに…。常に自分目線だったということなんでしょうね。
子どものために無理して付き合わない
私は自分が無理してまで子供たちの友達の保護者と関わる必要はないと思っています。イギリスの小学校は日本の幼稚園的な感じで毎日保護者の送り迎えが必要で、今回の誕生日会のように保護者同伴で集まることも多々あるので人間関係も大切です。だけど無理しない。子どものためにと思って無理して参加してると必ず自分に負担がやってきます。子供に頼まれて放課後の遊びに誘って欲しいと言われたなら保護者の方に連絡してみたら良いと思います。だけど、頼まれてないなら自分の心地よい距離感で付き合っていけばいい。あいさつ程度の付き合いがいいならそれでOK。
「子どもが遊びに誘ってもらえるように私がママ友付き合い頑張らないと」と意気込んでると息切れし始めたらダムが決壊するかのようにイライラが止まらなくなり子どもにも「あなたのために私はこんなに頑張ってるのよ‼︎」なんて怒りをぶつけてしまうことになりかねません。そんなとこまでいってしまったらお互いに不幸です。
あなたのためは自分も相手も苦しめる
娘を産んで働き始める前、まさにこの負のスパイラルで自分を追い込んだ事があります。「娘のために」と勢いこんで言葉も話せない時に子どもたちが遊べるコミュニティに通いまくっていた時、必死で良いお母さんを毎日2時間くらい演じること疲れていきました。なんでもない世間話をして楽しそうな自分を演じた後に帰宅したら放心状態。「私も疲れてるねん。毎日〇〇のために無理してるんやから家帰ってからくらいゆっくりさせてよ」と娘に向かって言ったこともありました。当時娘は1歳…何を伝えたかったんだ私はと今では思いますが、コレも本当の話です。
子どものため、夫のため、人のために無理することは美しく聞こえるかもしれません。だけど、その美しさの影で自分が消耗していたら意味がありません。家族のためではなく、まずは自分がどうしたいのか。自分はどんな関係を望んでいるのか。一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか?
無理せずそれなりに。子供は勝手に育つもの
私の場合は気が合えば仲良くなればいいし、無理しない。子どもたちが放課後に一緒に遊びたいと言われたら連絡する。そのために送り迎えの時のあいさつは大切にするというスタンスでやっていってます。ママが仲良しだから子どもも仲良しなんてほぼないです。子どもたちには子供たちの個性や感性にあった友だちができてきます。小さい時は親の影響が大きいので遊びに行くなど親の交流範囲で大きく変わってきますが、成長とともに変わっていくものです。
無理しないで。自分を大切に。
この言葉を当時の私に贈りたい。