未成年の頃、人生を楽しんだ経験がほぼない私は子供と関わる事を避けて生きてきた。でもなぜか子どもを授かってから「未来を担う子どもたちに何か私ができることはないかな?」という問いが私の脳裏をチラつくことが多かった。学校のイベントに積極的に参加して、私が出来ることって何?強みって何だろう?よくそんな事を考えてた。
自分の中にあふれる「未来の子どもたちのためにという想い」に気づくと周りにその想いを持った人の存在に気づく。その一人が娘の小学校最後の担任であるR先生。万人に素晴らしいと言われる人は存在しないから色々と保護者から耳にすることもあるが、おおむね絶対的な信頼を得ているベテラン教師。R先生はキレイごとじゃない本当の意味での自立を生徒に促そうと1年間生徒と関わり続けてくれている。今年は彼女にとってリタイア前最後の1年でもあるため、長い教師生活のピリオドが近づいている。
自分の人生の責任は自分で
R先生は新6年生を集めた顔合わせが行われた昨年、生徒に向かってこう発言した。
「あなたたちは6年生になります。宿題をするもしないも自分で決めて良い。良い結果も悪い結果も、全て自分に返ってきます。自分の人生の責任は自分で取りなさい。」
娘は私に「自分の人生の責任は自分にあるからなんでも自分で決めたら良い。」と言われ続けているので、「ママと同じこと言ってたよ〜」とニヤニヤしながら教えてくれた。親と教師が同じこと言ってると思った娘はブレずに自分の人生を自ら切り開く決意を固められたと信じたい。
受験というプレッシャーに打ち勝つ覚悟
そんなR先生は中学校進学手続きの説明会でも貴重な話をしてくれた。
イギリスにも中学受験は存在する。私立だけでなく公立進学校の選択肢もあるが狭き門なので熾烈を極める。
「受験を考えてる方も沢山いると思う。ただ受験をする前に考えて欲しい。受験には多大なお金と労力がかかります。そして子どもたちには想像を絶するプレッシャーがかかる。私は今までプレッシャーに押しつぶされてきた子どもたちを沢山見てきました。本当にあなたの子供がそのプレッシャーに打ち勝てるだけの精神力を備えているのか、そしてその学校に行く事を子供が望んでいるのか良く考えて欲しい。」
こう6年生の保護者に向かって話してくれた。この先生の発言の裏にはR先生自身の失敗談が含まれている事を後に知ることになった。
母親としての苦い失敗を伝える教師の言葉
R先生には息子さんがいる。その息子さんを家の近所にある公立の名門進学校に合格させるために受験された。無事に合格して通い始めた息子さんだったが、途中から勉強についていけなくなったらしい。イギリスの進学校では勉強についていけなくなった生徒と保護者には地元の普通の学校に転校させるよう打診される事が普通にある。私は聞いた事があったので知っていたが、知らない親御さんも多い気がする。たとえその学校に入れたとしてもプレッシャーで精神を病んで拒食症になったり、最悪のケースでは自殺してしまうこともある。
R先生の息子さんは進学校に進学して苦労されたようだった。先生は保護者会でその話はされなかったが、自身の受け持ちである娘のクラスの生徒には息子さんの話をされたようでした。進学校に入ったからと言って幸せかどうかはわからない。ずっと続くプレッシャーに耐えられない子もいる。そう伝えてくれたらしい。
この話を聞いて、可能性をつぶしているという見方もできると思う。ただ私はR先生が息子さんに負わせた辛い経験からの学びを素直に享受してくださってるのだと思った。
光り輝く反対側には必ず影が存在す
進学校に行って名だたる大学に入って有名な会社に就職。世の中の光の部分にしか焦点が当てられていないストーリー。日本の進学校では成績不振でも退学や転校を勧められることはない。ただ学校側からは商品価値なし的な扱いをされるのも事実。私は兄が進学校に通っていたため親から伝え聞いたり、有名大学で働いていた友達から聞いた話などで闇の部分も多少知っている。進学校にとってできるだけ多くの生徒を有名大学や医学部など花形と言われる学部に送る事が宣伝になる。だから、できる生徒には目をかけるが、その逆は無関心もしくは本人の気持ちを無視して有名大学でも入りやすい学部を受験させたりするのだという。
私は自己信頼感が皆無だったし、負け組として競争社会で生きる事を早々に諦め逃げてきたので華々しい進学校の闇を経験することはなかった。だから私の話に説得力はない。だけど、こんな話誰も語ってくれない。負け犬の遠吠えと聞こえるのかもしれない。華々しい成功ストーリーを語ってくれたり、執筆されてるいわゆる成功受験ママは沢山いる。子供の未来に期待をする親は美辞麗句が聞きたい。過去の私もそうだった。私にはできなかったから、この子には‼︎そんな風に娘に必死だったし本を読んだり教育ママ知識はそれなりに入れてきた。そうして娘に必死になってた私が育てていた娘は、それなりに何でもそつなくこなすけれど子供らしさのない自信のない退屈そうな子供に育っていった。コレが私の育てたかった子供なのだろうか?コレが私の過ごしたかった子供時代なの?子育て迷走時代の私の心の声。
世の中、陰と陽は常にセットなんだと私は思っている。光があるところには必ず影がある。キレイごとじゃない泥くさい現実を語る大人でありたい。大人の私たちもそうだけど、自分のこととなると美辞麗句ばかり聞いていたって何も心には響かない。子どもだって同じ。生々しい影を含むストーリーを聞くから心に響くんだと思う。人の失敗談ほど学びになるものはない。それを語れる大人でありたいと私は思う。
人の失敗談を聞いても、その経験がその子にとって必要な経験なら果敢に挑戦していくだろう。そして失敗して、あーこういう事なんだと学ぶのだと思う。失敗までひっくるめてマルっと受け止めるだけの懐の深さが親や大人に求められてる。失敗した時にクッション材となる失敗談を事前に聞いておく事とはとても意味のある事なんだろうな。R先生の勇気ある言葉に救われる子供たちが必ずいる。私の失敗談もきっと誰かの勇気になる。そう信じて発信します。