5-2.インナーゲーム

インナーゲーム沼にハマる - 楽しく発揮力をあげるには

1年ほど前、姉のように慕っているネネちゃんのセッションを受けて初めて知ったインナーゲームという世界。この世界を知ってから、自分否定が大好きで世界で一番自分が嫌いだった過去を持つ私がが、「今の私幸せやわ」とまで思えるようにまでなった私の人生を変えてくれたと言っても過言ではない学び。1年前の私が今の私を知ったら腰抜かすを通り越して気絶するんじゃないかと思うレベルの変化が自己評価であるレベルです。初めてのときは訳がわからなかったけど、直感で「私に必要な考え方な気がする」と感じて突き進んできて本当によかった。本来なら福岡でリアル開催しかしないというインナーゲーム講座が平日夜にしかもzoom募集されてたので、参加以外の選択肢がなく即決応募。1回目の講座を受けてきました。私の人生を変えてくれたセッションができるようになれる講座。ワクワク以外の言葉はない!!

インナーゲーム沼にはまった私が恐れずにインナーゲームを解説してみる

言葉で聞くだけでは全くと言っていいくらいわからないインナーゲームという世界。学び実践を繰り返して体感レベルで落とし込んでいくのが、私の中のインナーゲームです。とは言え、ブログなので恥を恐れずに言葉を使って書いてみようと思います。

「アレやりたい」って言う自分の中の無邪気な声と「無理やって、失敗したらどうするん?」とか「いい歳して何してんの?」って言う大人の事情をわきまえた声のせめぎ合い。ここで無邪気な声の大きさが大人の声をかき消すくらいの大音量でいければ発揮力は高めになし、逆ならば持ってる能力も発揮できずに終わってしまう。無邪気な声と大人の声の陣取り合戦的なイメージが私の中にあります。

親から見たら我が子の年齢などを考慮しても危ないと感じる遊具でも、子供はできると信じてる。遊具を見て一心不乱に走り出した子供を見てママが「あっ…」としか声をかけられなかった場合、子供は年齢より遥かに高いレベルの遊具を使いこなせる可能性が一気に高まる。子供の急発進能力よりママの危険察知能力が勝り一瞬でも子供の中にママの顔が浮かんだ瞬間、発揮力は下がってしまい遊具を使いこなせなくなってしまう可能性が高まる。
楽に楽しくは努力せずにという意味ではない
インナーゲームでよく耳にする「楽に楽しく目標を達成する」という考え方がある。それは楽をして目的地に立てるという意味ではなく、道のりを楽しむということ。時として険しい道のりを努力と受け取るか、それとも楽しみと受け取るかの違いで、自然に目標行動値を簡単にクリアできて知識や技術も向上するということらしい。

明確な目標を立てて観察するのが鉄則

インナーゲームでは明確な目標がとても大事。そこが定まるからこそ内なる能力が発揮される。目標が決まったら観察をする。これが次に大事なポイント。
ここで私が思い出すのがアメリカの看護師試験を受けた時のこと。アメリカに留学して3ヶ月後から試験勉強を始めた私。英語のレベルが低すぎて、問題を読むことに多大な労力を必要としてた時の私は、試験勉強が苦痛で仕方がなかった。ねばならない思考にさいなまれ、問題集を前に泣きながら30分かけて1問解いてたこともあった。そんな状態で約1年勉強しても伸びるわけもなく、必然的に不合格となった。
ここで、インナーゲームを全く知らなかった私でしたが、不合格要因の洗い出しをしてました。精神的に追い込まれてたので休みが必要。休んでる間に、英語の勉強に専念する。当座の目標を問題文がすらすら読めるレベルにターゲットに絞り英語力を伸ばすための授業を選択し日々の課題に真摯に取り組んでました。
ちょうど3ヶ月の1学期が終わるタイミングで問題文がすらすら読めるようになり試験勉強に戻りました。その後は『試験合格』を明確な目標に変えました。短大に通いながらの試験勉強だったので、受講科目選びから課題とどの程度向き合うかなど計画した後、日々の生活リズムを観察してました。いつどこで勉強すると集中力が上がるのか、どのくらい学校の課題をこなすのに時間と労力が取られるのかなど、色んな方面から無意識のうちに観察してtry & errorを繰り返して最終的なリズムを確立させて4ヶ月ほどの試験勉強の後に合格できた経験がある。合格する前の勉強は不合格前とは打って変わり「楽しい」と思えるほど熱中してて、勉強嫌いだった自分が代われば変わるもんだな〜と思ってた記憶もある。
英語力という差はあれど苦行と思っていた勉強が楽しいと思えるようになった瞬間、加速度的に私の中の理解度が上がっていった。これがいわゆる楽に楽しく目標達成という事なのかもしれない。

子どもの能力発揮レベルは最高 (注)大人がいらん事言わなかったらね

子どもはみんな天才なんて言うけれど、それは天からの授かりものをそのまま100%発揮できるからとも言える。ただの好奇心、やりたいという願望だけで突き進むから恐れも恐怖もなく何でもできちゃう。大人の感覚で言えば不十分なことでも彼らにとっては達成レベルだったりするのかもしれない。息子は歩き始めの頃、2歩しか歩けてないのに私の方を見て拍手するように要求してくる子だった。大人の私からすれば歩くのが遅かった息子を見てまだ2歩か…くらいの感覚だったけど、息子からすれば「凄くない?ここは褒めるとこでしょ?」という事だったのかな。子どもが何かに挑戦しようとする時、悪影響になるのが「大人からの無意味な忠告」。
同じ講義に参加されてた方が音楽家のことだったこともあり、講義内容に音楽の話もたくさん出てきた。そこで気づくのは娘を潰した張本人は私であると言う事実。小さい頃からピアノを習い、音楽ができない親から家庭教師のごとく練習に付き添われていた私。楽譜を使って思考優位で指導された私は間違えたら母から怒られる恐怖感と共に練習を嫌々していた記憶がある。そんな私は親からされて嫌だったことを娘にしながら、さらに間違えたら怒る指導法をとる先生を選び娘に習わせていた。時に雄叫びをあげるかのようにレッスン中に感情的に泣く娘の声を聞いているのが辛くて車に逃げてたこともある痛い痛い過去の私。幸い家庭での練習は時間がなかったことから徐々に放置するようになったとはいえ、娘の中にピアノ=怒られるという縮図を描いてしまったのは誰でもない私だった。その後、間違えても優しく「もう一回やってみようか?」とエスコートしてくれる先生に変えたものの娘の中のトラウマは消えず、少ししてからピアノから距離を置くようになり自ら完全に辞めたいと言ってきて今に至る。
私は音楽を楽しめなかったから、娘には音楽の楽しさを知った人生を歩んでもらえたらという気持ちもあってピアノを習うことを決めたのだが、私の中の「楽譜は読まなければならない」、「楽譜のとおりに演奏しなければならない」という固定概念を自由な発想で生まれながらの楽しむという感覚を持つ娘に押しつけてしまい、娘のピアノは閉じられたままになってしまった。
その反面、息子はバイオリンを1年ほど習ってるが家に自前の楽器がなくレッスン中のみ弾ける環境。先生は楽器を楽しむことをメインに指導してくださってるため、「ママが聞きたいなら、バイオリン買ってくれたら家で弾いてあげるよ」とか調子に乗った発言をしつつ毎週のレッスンを楽しみにしてる。
大人だから少なからず完成形を知っているだけに、楽しんでる子どもに向かって「もっと上手くなれ‼︎」、「そこは違う‼︎」といらぬ口出しをしてしまうけど、そんなの必要ないんだなと最近思うようになった。子育てでも、人の指導をする場合でも必要なことは「相手の可能性を信じて見守るだけ。相手からアドバイスを求められたらサポートする」それだけでいいのではと思う。

ヤバいくらい楽しかった3時間講義。インナーゲーム沼にハマってしまった気がする。講座資料の振り返りと、本が読みたくなったのでAmazonで早速ポチりました。いずれ子どもたちとシェアしたい本になるであろう確信があったので、英語の本を選びました。私の理解力がついていかない可能性がありますが、オーディオブックも購入してあるので目と耳のダブル刺激でインナーゲーム沼を楽しみたいと思います。

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