小学校6年生といえば卒業前のイベントが目白押しの年。イギリスの学校でも同じくイベントが色々とあります。が、コロちゃん大流行によって昨年の6年生はロックダウンの影響をもろに受けてしまい卒業前のイベントは全てキャンセルという悲しい結末でした。卒業前の6月には学校が一部再開となったものの、警戒する親御さんも多く出席率は半分以下という状況だったと聞いています。
現6年生はというと、1学期目に2度のコロちゃんケース発覚によって計4週間の自宅隔離を余儀なくされ、その後2学期目はほぼロックダウンで学校に通えないという状況でした。娘は今、最終学年の最終学期という状況です。
長かった冬のロックダウンが段階的に解除され学校が再開されて落ち着いたタイミングの3月末、保護者からの要請で6年生の保護者と学校とで卒業前行事についてのオンラインでの話し合いの場がもたれました。
保護者からの要望は可能な範囲でイベントを通年並みにやりたいというものでした。その中でも一番の関心事は課外研修旅行。当時はまだ政府から教育目的の旅行や遠足の規制が正式に緩和されておらず、学校も判断しきれない状況でした。個人的には微妙なタイミングの話し合いだなと思っていたのですが、参加してみて衝撃を受けました。
私が勝手に感じていた微妙なタイミングという感覚は私の中にある教育は受け身だという発想に起因しているのだと思い知らされる貴重な学びの会でした。
私が特に感心したポイントは以下の2つのポイントでした。
- 保護者が積極的に意見し、自らボランティアを申し出ていたコト
- 話し合いの内容が全て未来に向かっていたコト
保護者が積極的に意見し、自らボランティアを申し出ていた
私の中で、学校主催の話し合いと言えば学校からの報告が8割以上で少しの質問というイメージだったのですが、この話し合いでは逆でした。保護者が研修旅行を実行するためにというテーマで行き先候補となる研修施設案や政府規制が緩和しなかった場合の代替え案など積極的に出し合っていました。その上でロックダウンの影響で雑務が増えている学校側には決断のみを委ねられるように、追跡調査部隊が保護者の中から集められることになりました。調査部隊は十分すぎる人数が瞬時に立候補で集まり、更には情報をひとまとめにして学校との連絡役となる司令塔のような役割も立候補で決まるという状況でした。役割をなすりつけ合うこともなく、自分にできることで貢献するという保護者の集まりが徹底されてる気持ちよさを感じられる瞬間でした。
話し合いの内容が全て未来に向かっていたコト
娘のクラスの場合、昨年3月の1回目のロックダウン以降、学校再開はあったのもののコロちゃんケース発覚などで自宅隔離措置があったり等ほぼ1年間学校生活から遠のいていました。その失った時間を誰も見ず、ロックダウンが段階的解除されていく中で失った時間を埋める方法を保護者でアイデアを出していくという風に感じられる時間でした。過去を嘆く発言をする人がおらず、先生も参加してた全ての保護者も今のクラスで過ごせる残りの時間でできることを考えて自らできる行動をするのが素晴らしいなと思いました。不毛な嘆きや愚痴は時間を奪うだけで建設的な話し合いにはならない。建設的な話し合いとはこういう事なんだということを肌で感じられ、会社での会議よりも刺激を受けた時間でした。
この話し合いで私は発言することはなかったのですが、保護者と先生たちが一体となって子供たちが経験という学びができるようにという1つの目的のために積極的に話し合いをしてる姿に感動して一人泣きそうになりました。今回の案件では文化的背景や言語の問題など私が出る幕はないなと思ったのでボランティアは立候補しませんでしたが、私にできることがあれば積極的にサポートしていきたいと刺激を受けました。
そして、この話し合いで私がもう一つ学んだことは、自分に意見がある時の交渉の仕方です。ただ自分の都合や意見を述べるのではなく、相手の立場を考慮して自分ができる部分は自分でやって本当に必要なヘルプだけを頼む。Lead Myselfを体現し、そこから周りの人を巻き込んでいく。これが大事なんだなと学ばせてもらえた保護者会。
娘に導いてもらい本当に数多くのことを体感し、学ばせてもらっている私。イギリスにいるから見えること感じることをこれからも発信していきたいなと思っています。